学問のすゝめ

【名言】「家で飼われた痩せ犬のごとし」の例え【学問のすすめ】

福澤諭吉著『学問のすゝめ』の譬え「家で飼われた痩せ犬のごとし」についてです。

福澤先生は、自立することの重要性を繰り返し説かれました。
(原文では「独立」ですが、現代的には「自立」の方が意味が分かりやすいです。)

「その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」
と、自立しない人間の従順さは、まるで痩せ犬のようであると、厳しく指摘しています。

原文を参照しつつ、福澤先生が伝えたかったことを深堀りしてみましょう。

 

『学問のすすめ』三編・原文の抜粋

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諂うものなり。

 

自立する気がない者は、必ず他人に依存します。
他人に依存する者は、必ず他人を恐れるようになります。
他人を恐れる者は、必ず他人に媚びへつらうものです。

 

常に人を恐れ人に諂う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきことを恥じず、論ずべきことを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。

 

いつも他人に媚びへつらう者は、段々と媚びることが習慣になります。
その面の皮はまるで鉄のようであり、恥じるべきことを恥と思わず、議論するべきことを議論しません。
人を見たらただ服従するだけです。

 

言葉も賤しく応接も賤しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。実に無気無力の鉄面皮と言うべし。

 

話す言葉や受け答えがいやしく、目上の人間には自分の意見を全く言えません。
立てと言われれば立ち、踊れと言われれば踊り、その柔順さはまるで家で飼っている痩せ犬のようです。
まさに無気力な人間であり、恥知らずで厚かましいことこの上ありません。

 

自立と依存・依存の弊害

なぜ福澤先生は、ここまで厳しく自立心の無い人間をこき下ろすのか。
その理由は三編「一身独立して一国独立すること」に書かれています。

国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能わず。その次第三ヶ条あり。

 

「国家と国家の権理は同位同等ですが、国民に自立の気持ちがなければ、国の独立を維持する権理を発揮することはできない」と言います。

 

そして、その理由が以下の三点です。

・自立の気持ちがない人間は国を守らない
・国内で自立していない人間は国外でも権理を発揮できない
・自立の気持ちがない人間は強い者に依存して悪さをすることがある

 

本記事では、一点目をご紹介します。
他の二点については、以下の意訳記事をご参照ください。

【要約】福沢諭吉著『学問のすすめ』三編・現代語訳福澤諭吉著『学問のすゝめ』三編の要約です。 本書は、初編から17編まであり、本記事は、その3編の意訳要約となります。 【国は同等なる...

 

自立の気持ちがない人間は国を守らない

人々が自立心をなくして他人の力に依存しようとすれば、世の中は他人に依存する人で溢れかえります。

福澤先生はそんな状況を
「盲人の行列に手引きなきが如し」
つまり、まるで手引きのない盲人の行列のようではないか、と指摘しています。

 

自立心が国中に溢れると、その国家はお互いがお互いを立て合う、助け合いの国になります。
しかし、依存心が国中に溢れると、だれも自分のことを支えてくれなくなります。

仮に支えてくれているように感じても、それはただ依存されているだけなので、都合の悪いことが起きるとすぐに去っていくでしょう。

 

依存することしか知らない人は、物事を自分事として捉えられません。
常にお客さん気分であり、人から言われたことをして、周りの流れに迎合し、不都合があるとすぐに人を恨みます。

そんな人は国の有事の際にも、どこか他人事です。

それを福澤先生は、
われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。

と解説しています。

私はただのお客さんなので、自分が損することは何もしませんよ、という態度です。

いつも国の世話になっておきながら、国のために何もしないのです。

 

学問のすゝめ流・自立の条件

自立心がないと、自分事として物事を捉えられないので、置かれている立場を真の意味で理解できません。

自分たちにどんな危機が迫っているのか、自分たちはどんな役割を果たすべきなのか。
そういったことは、当事者意識がないと体感できないのです。

わかったつもりでいるから、不都合が起きるとそれに対処できなくなります。

このような事態を避けるためにも自立心が非常に重要です。

 

独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。

 

自立を分かりやすくいうと、自分の力で判断し、自分の力で生きていくということでしょう。

もちろん私たちは、さまざまな人たちの支えの中で生きています。
ですから、他者への依存を0にすると依存できるというわけではありません。

 

実際は“依存先を増やしていく”ことで自立が達成されます。
判断力を身につけるためには、さまざまな人たちの判断基準を知り、自分のものとしなければなりません。
お金を稼ぐためには、さまざまな人たちに価値を提供し、その金銭を自らに預けてもらう必要があります。

 

自立をするということは、依存先を増やす、ということなのです。
依存先が多いからこそ、自分の力で生きていけます。
依存先が多いからこそ、間違った権力者に従わずに済みます。

毎月1万円を預けてくれるお客さんが30人いれば、上司のパワハラに耐える必要はなくなるでしょう。

 

例えば仕事において自立心を放棄していると、会社しか頼るところがなくなります。
それがいわゆる“依存”であり、家で飼われた痩せ犬なのです。

起業独立しろということではありません。
自立心のもと日々、懸命に業務に励む人は、転職でも困りません。

 

目の前の物事を日ごろから自分事として捉えており、本質的な判断力やお金を稼ぐ力が身についているからです。

 

「家で飼われた痩せ犬のごとし」まとめ

家で飼われた痩せ犬とは、自立心のない人のことでした。
他人に依存し、媚びへつらい、自分というものが存在しない空っぽな人のことです。

強いものに優しく、弱いものに厳しい人っていますよね。
そんな人のことを、痩せ犬といいます。

 

福澤先生の主張は一貫しています。

学問に志し、物事の道理を知り、自分の役目を果たす。
能力やスキル、人徳を身につけて、自立した人間となる。

そんな人たちが国中に溢れれば、社会は豊かになります。

 

権理を守るからこそ、豊かさが守られます。
権理は自立心によってはじめて発揮されます。

だから自立心がないと自分たちの豊かさを守れないのです。
そんな日本になってほしくないからこそ、福澤先生は「痩せ犬」などという厳しい言葉を使って日本人を鼓舞しています。

先々までも私たちが心に留めて置くべき言葉ではないでしょうか。