雑記 - note -

【権力利用】ローマ帝國・コンスタンティヌス大帝とキリスト教の公認の歴史

ローマ帝国がキリスト教を公認したのは、西暦313年です。
当時西方正帝であったコンスタンティヌス大帝は東方正帝のリキニウスと連名でミラノ勅令を発布しました。

「キリスト者にも万人にも、各人が欲する宗教に従う自由な権能を与える」

この勅令により、キリスト教は公認、礼拝の自由が認められ、それまで没収していたキリスト教会の財産も返還されることになります。

キリスト教が公認されたというと、「信教の自由」が想像されます。
しかし、「コンスタンティヌス大帝が宗教の価値を理解し、自由信仰を進めることに意欲的だった」というわけではありません。

コンスタンティヌス大帝の妄想劇

コンスタンティヌス大帝は、
キリスト教の神の守護により勝利したと伝えられています。

彼は、正帝の座に就くための戦いに挑んでいました。
その行軍中、「P」と「X」を組み合わせた印が空中に記されているのを発見したのです。

真夜中に、幻の中でキリストがその印とともに現れ、コンスタンティヌス大帝に対し、「P」と「X」を組み合わせた印を軍旗に用いるよう命じました。

キリストのお告げを守ることで、コンスタンティヌス大帝は見事、勝利を収めることができます。
軍人として卓越した手腕を発揮し、最終的には、複数の皇帝によって分割されていたローマ帝国を再統一したのです。

 

イエスの信じていた神は軍神なのか

人類の救済をうたったイエス、その救世主の信じる神は軍神だったのでしょうか。

キリスト教は愛の宗教であり、神は人類を一方的かつ無条件に愛情を注いでいるとされます。

その愛こそがキリスト教の救済の本質でしょう。

コンスタンティヌス大帝は、歴史上、ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰したとされる人物です。
しかし、彼の見たイエスと聖書で語られるイエスとの間には、大きな違いがあるのではないでしょうか。

結果として、キリスト教は公認されることになりました。
しかし、それと同時にキリスト教徒たちは大帝の思惑に翻弄されることになります。

 

皇帝がキリストの神となる

コンスタンティヌス大帝の目的はローマ帝國に於いて、唯一の皇帝としての座を確定させることでした。
キリスト教を信仰していたとはされるものの、自身に都合の悪いキリスト教派は弾圧されます。

彼は、キリスト教内でも自分に都合がよいアタナシウス派を拾い上げ、権力の邪魔となるアリウス派を排除しようとしました。

325年に、ローマ・カトリック教会に於ける最高会議、ニカイア公会議が開かれます。

2世紀以降、キリスト教の教義解釈に関して、様々な立場を取るものが現れ、
中でもアタナシウス派とアリウス派は三位一体論を巡って激しく対立していました。

三位一体を簡単にいうと、「父と子と精霊」の実体が同じということです。
今でもカトリック教会では、「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と唱えて十字を切ります。

現代では、三位一体は絶対的なものとされ、仮に否定すると異端認定をされるほどです。

しかし、当時のキリスト教はユダヤ一神教の影響が強く、父なる神と子なるイエス、
そして精霊の実体が同じという説は、今のキリスト教ように絶対的なものではありませんでした。

アタナシウス派は、その三位一体論を推し進めていたグループです。

三位一体説は 皇帝や権力側にとって都合のよい考え方です。
皇帝は三位一体説を利用することで、自身の発言は神の発言であると主張しています。

神と子が同質であり、神が人間の姿を借りて人びとに布教を行ったのなら、自身も神であると主張することができるからです。
神が皇帝の姿を借りているなら、キリスト教徒は皇帝の発言に従わざるをえないでしょう。

コンスタンティヌス大帝によるアリウス派の排除

そうしてコンスタンティヌス大帝は、ニカイア公会議に於いてそれまでの教義に厳格なアリウス派を排除しました。
アタナシウス派の教義を汲み上げ、新約聖書27篇が決定されます。

その際、統治に都合の悪いマグダラのマリアの福音書やトマスの福音書は切り捨てられました。

20世紀に約850巻の死海文書が発見されましたが、それ以上の規模でイエスの教えを記した書物は焚書されたでしょう。
マグダラのマリアの福音書を読めば、彼女はイエスの一番の理解者であり、最高の女性使徒であったことが伺えます。
キリスト教は、権力側から徹底的に利用されたのです。

原始キリスト教では、男女は神の前に完全に平等でしたが、マグダラのマリアはニカイア信条により貶められます。

皇帝や教会権力者に都合のいいキリスト教解釈が、当時のキリスト教の正式な教義となってしまったのです。

 

キリスト教公認の歴史から現代人が学べること

この記事では、キリスト教が権力によって利用された過去をご紹介しました。
「歴史は繰り返される」という言葉がある通り、権力の暴走は現代でもあります。
人はどうも権力を握ってしまうと頭がおかしくなってしまうようです。

権力側の目的は常に、権力の維持と拡大です。
未来の子供たちのためにも、権力の横暴を許してはいけません。

私たちが常識と思っていることが、権力の都合のいいものとされていないか、何らかの形で捻じ曲げられていないか、それらを常にウォッチする必要があるのです。

イエスの伝えたかった愛がすべての人類を祝福しますように。