雑記 - note -

【仏教】心を幼子のように軽くする「応無所住而生其心」【金剛経】

「まさに住する所無うして、しかも其の心を生ずべし」
般若経典の一つ『金剛経』から引用した一節です。

禅僧は、よく好んでこの言葉を使います。
「心をどこにも置いてはいけない、さらに、その心を生かしなさい」

一切皆苦、この世はすべて苦しみであると、仏教は説きます。

宇宙が「無常」であるというのは理解できると思います。
この世は、すべてのものが移り変わっていく、常ならぬ世界です。

生きるということは、この「無常」に逆らうことです。

人は呼吸をして、ご飯を食べて、エッチをして、なんとか生命を存続させようとします。

生きるとは、死なないための努力です。
無常という真理に逆行する行為です。

万物が変化していくなかで、変化することのない「私」を維持することが生命現象の本質です。

ですが、その「私」という波は、「無常」という大きな波によってかき消されます。
これが「苦」です。

思い通りにならないことを、なんとか思い通りにするのが生きるということです。

儚いですよね。

でも、生きている私たちは生の尊さを知ります。
その美しさ、楽しさ、有難さを感じることができます。
一瞬に永遠を感じることができます。

 

何事にもとらわれず夢中に生きる

夢中という言葉があります。
例えば子どもがゲームに夢中になっているとします。

その子は他のことに目もくれず、ゲームの世界に心を奪われているでしょう。
これが生きるということです。

私たちは現実世界に夢中になっています。
ですが、それは夢の中です。

夢の中ですが、夢中になる必要があります。
夢中にならないとゲームをしている意味がないからです。

 

夢の中で夢中になる、これが
「心をどこにも置いてはいけない、さらに、その心を生かしなさい」ということです。

私たちは、大きな波にかき消される運命にある小さな波を楽しんでいます。
「昨日の私」と「今日の私」は違います。
「昨日の私」は既に、「無常」によってかき消されているのです。

「心をどこにも置いてはいけない」とは、
一つの場所にとどまらせない、執着してはいけないという意味です。

「さらに、その心を生かしなさい」とは、
さまざまな対象物にきちんと心を向けなさいという意味です。

 

人は生きていれば、さまざまな物事に出会います。
良いこともあれば悪いこともあります。

嬉しい出来事に囚われず、嫌な出来事から目を背けず、
生きている間に起きる出来事すべてに夢中になりましょう。

 

喜びであれ、苦しみであれ、今のあなたをその場に閉じ込めるなにか、
それは決して永遠のものではありませんし、そのことに執着してはいけません。

「応無所住而生其心」で、心が一気に軽やかになります
自由自在に人生を生きることができます。

子どもは何かに執着することがありません。
さっきまで泣き叫んでいたのに、少ししたらもう笑っている、という光景はよくあります。

これぞ人間の本来の姿です。

目の前の出来事に夢中です。

 

人は成長するにつれ、欲を背負いきれないほど積み重ね、いろんな物事に執着するようになります。
もちろん意欲は大切です。人が夢中になる原動力は意欲です。

ですが自分の手に負えなくなった欲は強欲です。
執着心を生み出し、自身を不幸にさせます。

 

西洋の偉大な宗教家イエス・キリストはこう言いました。

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」(マタイの福音書)

 

私たちに必要なのは「幼な子の心」です。
清い心でさまざまな出来事を純真に受け入れることです。

嫌なら泣いて、楽しかったら笑えばいいのです。

戦国時代の武士たちは、うれしい出来事があってもよく泣いて喜んでいました。

「たけき武士は、いづれも涙もろし」(『甲陽軍鑑 巻十四』)

 

社会では仮面が必要とされるときも多いでしょう。

ですがその中で、少しでも無邪気な心で楽しむ機会を増やしてください。
純真さを取り戻せば、人生を陽気に過ごすことができます。

重要なのは幼子の心、純真さ、無邪気さです。

この世に夢中で生きることほど美しいものはありません。

 

 

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